自分の力で
生きているという錯覚
他力あってこその自力
老師と出逢いすぐに、
新しい営業の仕事をはじめた。
成果を求められる
厳しい仕事ではあったが
なんとかかんとか
良い成績をあげれるようになり
給料もそれなりに上がっていった。
しかし、いつも心の奥に
「人生このままで
いいんだろうか・・・」と
モヤモヤした気持ちで目の前の
ハードな仕事にこなす
日々が続いていった・・・
初めて老師にあった日から
数カ月がたったころだろうか?!
また会いたくなって、
教えてもらった自宅に電話すると
「そうかそれならうちに来るか」と
快く受け入れてくれた。
今度は、一人で老師のご自宅に
お邪魔することになった。
ご自宅にお邪魔するなり
今の仕事の話や
現状のことなどを話して
またまた
不平不満をぶちまけた(;”∀”)
今度は、
老師の話にしっかり耳を傾けようと
質問をしてみた。
(私と老師の関係性は、
お爺ちゃんと孫のようなもので
いつもタメ口で話していました。
失礼ですね(^_^;))
この間、
「自分のことを信じてなくて
どうして物事がうまくいくんや!
いくわけないやろ!」
ってこの間言われたけど、
自分を信じるってどういうこと?
人は心が自分だと思っている
心はと外から来たもんや。
あんたの心は元々何もない。
真っ白な状態で生まれてきたんや。
もちろん生まれもって
持ってきているものもあるけどな・・・
頭の知識は、親や兄弟、知人友人、
教育、テレビなどの情報を
記憶したものに過ぎない。
えっ?自分ってそんなもん?
そうや!自分だと思っている
心は外から来たんや。
自己啓発セミナーでも
同じような話を聞いてはいたので
なんとなく理解はしたが、
老師が言われるニュアンスは
少し違うように聞こえた。
みんな、
自分の力で生きていると思ってる。
えっ!
自分の力で生きてるんじゃないの?
自分=自力で生きているという
傲慢な考えが現代人はこびりついてる。
でも自分が考えて、選んで、
成功したいとか?!
幸せになりたいとか?
考えるのは当たり前じゃないの?
自分で考えて創造してものを
作ったりするのはそれでいい。
でも、それを自力だけで成し遂げた、
自分の努力があって
成し遂げたと思うのは間違いや。
どういうこと(?:_:?)
自力を動かしている
大きな力、
それを”他力”という
この他力とは、
他の人の力ではなくて、
この大自然の力、
宇宙の力、
神さんの力のことや!
そのことを現代人は
忘れてしまっている。
ビジネスも化学も医学も
そういう他力
(自然の力)から
学ばなければ
本当に人や世間で
役に立つものは
生まれない。
う~~ん~~そうなのか・・・?!
自分を身体よく見てみなさい。
自分が作りだしたものがあるか?
その手、指、足、目、
心臓、大事なもの決して人間は
生みだせない。
似たようなものは
できるかもしれないが、
まったく同じもので、
これだけ精密で完璧なものは
作れない。
それは「他力」しか
生み出せないんや。
確かにそれは間違いと思うけど、
その他力をどうやったら
味方につけれるのか?
まったくわからん・・・
それはな、手を合わせて
「今あるものに感謝する」
ことや。
「あ~自分は
生かされてるんや~」って
そして、大事なものは
既に与えられているんやと。
今あるものだけで
生きればいいや!
後は、
ご縁があるかどうかやな。
自分を信じるとはな、
大きな力で自分は
生かされている!
その大きな力を信じる!
自分=自然を分けると
書いてある
自分を
信じるということは
自然からいただいた
自然から生かされている
そういう自分を信じる。
そういうことや」
老師は、
「自分を信じるってどういうこと?」
という私の質問に
明確に端的にとてもわかりやすく
教えてくてました。
とても奥が深く
何度も何度も
違う角度から
お話をしていただいたんですが
若く欲の深い私は
「今あるのものに感謝する」
ということが深く理解できず、
老師の貴重なお話も
心や細胞には刻まれたものの
心の片隅に置いたまま
欲望の赴くままに進んで
行ってしまいます・・・
そして試練の連続が・・・
続く・・・